御(お)誕(たん)生(じょう)

　日興上人は、寛元(かんげん)四（一二四六）年三月八日、甲(か)斐国(いのくに)大井(おおいの)荘(しょう)鰍(かじか)沢(ざわ)（山梨(やまなし)県鰍沢町）に誕生され、幼(よう)少(しょう)より、駿河国(するがのくに)蒲原(かんばら)荘（静岡(しずおか)県富士(ふじ)川(かわ)町）の天台(てんだい)宗(しゅう)寺(じ)院(いん)、四(し)十(じゅう)九(く)院(いん)に登られました。四十九院は富士川の西側(にしがわ)にありましたが、川を挟(はさ)んだ東(ひがし)側には実相(じっそう)寺(じ)という、同じく天台宗の寺院があり、両寺は常(つね)に僧侶(そうりょ)が往来(おうらい)する密接(みっせつ)な関係(かんけい)にあったと考(かんが)えられています。

　

　入(にゅう)　門(もん)

　日興上人が十三歳(さい)の時、大(だい)聖(しょう)人(にん)が一切(いっさい)経(きょう)を閲覧(えつらん)するため実相寺を訪(おとず)れました。一切経とは、釈(しゃく)尊(そん)が説(と)かれた八万宝蔵(はちまんほうぞう)と言(い)われるすべてのお経のことです。

　大聖人は、国(こく)中(ちゅう)にはびこる災(わざわ)いの原因(げんいん)が、念仏等(ねんぶつとう)の間(ま)違(ちが)った教(おし)えにあると悟(さと)られ、『立(りっ)正(しょう)安(あん)国(こく)論(ろん)』を著(あらわ)して時の最高(さいこう)権力者(けんりょくしゃ)であった北(ほう)条(じょう)時(とき)頼(より)を諌(いさ)めようとされます。『立正安国論』には様々(さまざま)な経文が引用(いんよう)されていますが、大聖人は『立正安国論』執筆(しっぴつ)の準(じゅん)備(び)のため、わざわざ鎌倉(かまくら)から実相寺に赴(おもむ)かれたのです。

　この時、日興上人は大聖人の弟子(でし)となり、生(しょう)涯(がい)、大聖人への常(じょう)随(ずい)給(きゅう)仕(じ)を尽(つ)くされます。

　大聖人は一切(いっさい)衆生(しゅじょう)が間違った教えによって地獄(じごく)に堕(お)ちるのを防(ふせ)ぐため、徹底(てってい)してその誤(あやま)りを責(せ)めました。それに対(たい)し、大聖人の大(だい)慈悲(じひ)を理解(りかい)できない人々は、大聖人に対して悪口(あっく)雑言(ぞうごん)を浴(あ)びせ、権力者は不当(ふとう)な罪(つみ)を着(き)せて流罪(るざい)、死罪(しざい)にしようと画(かく)策(さく)したのです。

　

　常(じょう)随(ずい)給(きゅう)仕(じ)

　大聖人は、弘(こう)長(ちょう)元（一二六一）年に伊豆(いず)、文永(ぶんえい)八（一二七一）年に佐渡(さど)と、二度(にど)の配流(はいる)を受(う)けられましたが、日興上人はいつも大聖人にお供(とも)されました。そして、それらの地に日興上人は、教(きょう)化(け)の足跡(そくせき)を数多(かずおお)く残(のこ)されたのです。

　一例(いちれい)を挙(あ)げれば、佐渡には日興上人御(ご)書写(しょしゃ)の御(ご)本尊(ほんぞん)が二(に)十(じゅう)数(すう)幅(ふく)残されており、いずれも大聖人御(ご)入(にゅう)滅(めつ)後(ご)に書写されたものです。この事実(じじつ)は大聖人滅後、佐渡の檀越(だんのつ)は日興上人に帰依(きえ)していた何(なに)よりの証(あかし)です。

　大聖人は『三沢(みさわ)抄』に、

と仰(おお)せられ、仏法(ぶっぽう)の奥義(おうぎ)は弟子に内々に伝(つた)えるものであると仰せです。

　たとえば、大聖人の弟子檀那(だんな)の中にも、大聖人は勇気(ゆうき)ある立派(りっぱ)な僧侶であるくらいにしか考えていない者が大勢(おおぜい)いました。そのような者には、大聖人は御(ご)本仏(ほんぶつ)であると理解できるはずがありません。したがって、大聖人は信解(しんげ)のおよばない人々に不信(ふしん)を抱(いだ)かせないためにも、安易(あんい)に深(ふか)い法門を説き示(しめ)すことはせず、弟子の信心(しんじん)に応(おう)じて内々に大事の法門を説かれたのです。

　内々の法門とは相伝(そうでん)（相承(そうじょう)）と言われ、公(おおやけ)の文献(ぶんけん)（御書(ごしょ)）に著されたものではありません。

　日興上人は、大聖人が末法(まっぽう)の一切衆生を救済(きゅうさい)する御本仏であられることを、弟子の中でただ一人信解されていました。大聖人は、その日興上人に仏法の奥義を余(あま)すところなく伝授(でんじゅ)されたのです。

　大聖人は佐渡(さど)配流を赦免(しゃめん)になられた後、日興上人の案内(あんない)で身延(みのぶ)に入られます。身延は日興上人の教化を受けた波木井(はきり)実長(さねなが)の所領(しょりょう)であり、この入山も日興上人を信頼(しんらい)されてのお振(ふ)る舞(ま)いでした。

　

　熱(あつ)原(はら)法(ほう)難(なん)

　日興上人は、大聖人へのお給仕のかたわら折伏(しゃくぶく)弘(ぐ)教(きょう)のため、しばしば身延から冨士に赴かれました。やがて、富士方面にも大聖人の仏法が弘(ひろ)まり、富士の滝(りゅう)泉(せん)寺(じ)という寺では、寺の住(じゅう)僧(そう)や近辺(きんぺん)の神社(じんじゃ)の氏子(うじこ)、また小(こ)作人(さくにん)の農民(のうみん)が次々と大聖人の門下(もんか)になっていきました。

　これに危機(きき)感(かん)を募(つの)らせた滝泉寺院(いん)主(しゅ)代(だい)の行(ぎょう)智(ち)は、農民らが他人の田畑を勝手(かって)に刈(か)り取(と)ったとして召(め)し捕(と)り、幕府(ばくふ)の威勢(いせい)によって改(かい)宗(しゅう)を迫(せま)ろうと企(くわだ)てたのです。そして苅(かり)田(た)狼籍(ろうぜき)という不当な罪を着せられ、二十名が幕府の評(ひょう)定(じょう)所(しょ)に連行(れんこう)され、過酷(かこく)な拷問(ごうもん)を受けました。

　この知らせを受けた大聖人は、すぐさま日興上人に宛(あ)てて『滝泉寺申(もうし)状(じょう)』を認(したた)められ、評定所に対し、行智の不当な振る舞いと、事の正邪(せいじゃ)を糺(ただ)すよう指示(しじ)されました。

　苅田狼籍の首謀者(しゅぼうしゃ)に仕立(した)て上(あ)げられた神(じん)四(し)郎(ろう)・弥(や)五(ご)郎(ろう)・弥(や)六(ろく)郎(ろう)の三名は、最後まで信心を貫(つらぬ)き通(とお)し、拷問の末(すえ)、正(しょう)法(ぼう)に身(しん)命(みょう)を捧(ささ)げました。

　この非(ひ)常(じょう)事(じ)態(たい)の中でも、熱原(あつはら)の農民は退転(たいてん)することなく、大聖人の仏法を貫き通したのです。これら一連(いちれん)の出来(でき)事(ごと)は「熱原法難(ほうなん)」と呼(よ)ばれ、読(よ)み書(か)きすらできない農民が不(ふ)自(じ)惜(しゃく)身(しん)命(みょう)の信心を貫き、七百数十年を経(へ)た今なお大聖人との師(し)弟(てい)相対(そうたい)の誠(まこと)を示した門下随一(ずいいち)の信心の鑑(かがみ)として讃(たた)えられています。そして、このことが大聖人出(しゅっ)世(せ)の本懐(ほんがい)たる本門(ほんもん)戒壇(かいだん)の大御本尊を御(ご)図(ず)顕(けん)される大きな機縁(きえん)となりました。

　このように、日興上人の弘教は、常に大聖人一期(いちご)の御(ご)化導(けどう)と密接(みっせつ)に関(かか)わっているのです。

　

　血(けち)脈(みゃく)相(そう)承(じょう)

　大聖人は御(ご)入滅(にゅうめつ)に際(さい)し、御自身の御(ご)魂魄(こんぱく)を留(とど)められた本門戒壇の大御本尊、および法義(ほうぎ)のすべてを日興上人に血脈相承されました。

　何故(なぜ)、大聖人は日興上人を選(えら)ばれたのか。それは、日興上人ただお一人が、常に大聖人を末法の仏様として正しく拝(はい)し、師弟相対の信心を全(まっと)うされたからです。

　大聖人には、六老僧(ろくろうそう)と言われる六人の弟子がいました。その一人日頂(にっちょう)師(し)は、後に日興上人に帰依(きえ)しましたが、それ以外の弟子は、本仏は釈尊であり、大聖人はその弟子に過(す)ぎないと考(かんが)えていました。そのため彼(かれ)らは、釈尊像(ぞう)を本尊として拝(おが)んだり、大(だい)漫(まん)荼(だ)羅(ら)の南(な)無(ん)妙(みょう)法(ほう)蓮(れん)華(げ)経(きょう)の直(ちょっ)下(か)、御本仏大聖人の御(おん)名(な)を認めるべきところを、勝手に自分の名前に書き変(か)えたりしていました。

　血脈相承を受けられた日興上人のみが、大漫荼羅こそが御本仏大聖人の御魂魄たる人(にん)法(ぽう)一(いっ)箇(か)の正しい御本尊としての意義(いぎ)を体(たい)され、「南無妙法蓮華経　日蓮」と書写し、また相承なき者が御本尊を書写することを厳(げん)に禁止(きんし)されたのです。

　私たちが大聖人の仏法の功徳(くどく)に浴(よく)することができるのは、ひとえに日興上人の厳格(げんかく)な仏法伝持(でんじ)の功績(こうせき)によることを忘(わす)れてはなりません。