鎌倉(かまくら)から身(み)延(のぶ)へ

　第三の諌(かん)暁(ぎょう)も幕(ばく)府(ふ)の用いるところとはなりませんでした。

　大聖人は、古(いにしえ)の賢人(けんじん)の言に従い、鎌倉(かまくら)を去(さ)ることを決心されました。そして、日興上人の勧(すす)めによって、その弘(ぐ)教(きょう)地(ち)でもあった身(み)延(のぶ)の沢を隠栖(いんせい)の地とされたのです。

　鎌倉の多くの人々と別れを惜(お)しんだ大聖人の一行は、文永(ぶんえい)十一（一二七四）年五月十二日に鎌倉を出発し、途中、酒匂(さかわ)（神奈川県小田原市）、竹の下（静岡県駿東(すんとう)郡小山町）、車返し（静岡県沼津市）、大宮（静岡県富士宮市）、南部（山梨県南巨摩(こま)郡）を通って、五月十七日に身延へと到着し、身延の沢での生活がはじまりました。

　身延の草庵(そうあん)と『法(ほっ)華(け)取(しゅ)要(よう)抄(しょう)』の御(ご)述(じゅっ)作(さく)

　お住まいは、草木がうっそうと生い茂(しげ)り、四方を山や川に囲まれた狭(せま)い所に、質素な草庵(そうあん)での心細いものでした。また、食料などの物資に乏(とぼ)しく、雪深く寒さも厳(きび)しいたいへんな生活でした。

　こうして身延に入られた大聖人のもとに、最初に御(ご)供(く)養(よう)の品々を携(たずさ)えて参詣(さんけい)したのは、南(なん)条(じょう)時光（当時十六歳）でした。南条時光は、この後も、自身の生活が苦しい時でも欠かさずに、大聖人のもとへ種々の御供養をされ、身延の生活を支えられたのです。

　初めは静かな草庵での生活も、次第に門弟も増え、ご信徒の参詣も盛(さか)んになり、賑(にぎ)やかなものとなっていきます。

　身延に到着された大聖人は、早速、『法(ほっ)華(け)取(しゅ)要(よう)抄(しょう)』を御(ご)述(じゅっ)作(さく)され、文(もん)底(てい)下(げ)種(しゅ)の南無妙法蓮華経、即(すなわ)ち三大秘法をもって、末(まっ)法(ぽう)流(る)布(ふ)の大法とすることを明示されました。

　蒙(もう)古(こ)襲(しゅう)来(らい)と『撰(せん)時(じ)抄(しょう)』の御述作

　さて、入山より五カ月後の十月五日には、他(た)国(こく)侵(しん)逼(ぴつ)難の予言の通り、蒙(もう)古(こ)軍が壱(い)岐(き)対(つ)馬(しま)を攻(せ)めてきました（文永の役(えき)）。この戦(いくさ)の悲(ひ)惨(さん)な状(じょう)況(きょう)を聞かれた大聖人は、直ちに諸宗の悪法を対治すべきであると喝破(かっぱ)され、翌建(けん)冶(じ)元（一二七五）年六月十日に『撰(せん)時(じ)抄(しょう)』を御述作されました。

　『撰時抄』では、仏法の弘(ひろ)まる「時」を論じ、末法の闘(とう)諍(じょう)堅(けん)固(ご)の今には、上(じょう)行(ぎょう)菩(ぼ)薩(さつ)が出現して、南無妙法蓮華経の大白法を広(こう)宣(せん)流(る)布(ふ)することを明らかにされています。この上行菩薩とは末法の仏であり、実は大聖人御自身のことであることを暗示されているのです。

　道(どう)善(ぜん)房(ぼう)の死去と『報恩抄』の御述作

　建治二年三月十六日、大聖人のもとに道善房(どうぜんぼう)死去の悲報が届きました。

　道善房は、内心は妙法に帰(き)伏(ぶく)しつつも、ついには念仏を捨てきれなかったのですが、大聖人にとっては幼少の頃(ころ)に学問の手ほどきを受けた出家得度の師(し)匠(しょう)でありました。

　大聖人は、深い悲しみの中で『報恩抄』を認(したた)められ、日(に)向(こう)に託(たく)して清(せい)澄(ちょう)寺(じ)の浄(じょう)顕(けん)房(ぼう)・義(ぎ)浄(じょう)房(ぼう)に送り、墓前と嵩(かさ)が森の頂(いただき)にて読み上げるように指示されました。

　『報恩抄』では、恩を報ずることの大切さを説き、例え父母や師の心に背(そむ)くことになっても、真実の仏法を習い究(きわ)めることこそ真の報恩であると示されています。そして、経文によって勝(しょう)劣(れつ)を判ずれば法華経こそが最勝であり、その肝要(かんよう)は妙法蓮華経であることを明らかにされ、

「日蓮が慈(じ)悲(ひ)曠(こう)大(だい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目(もうもく)をひらける功(く)徳(どく)あり。無(む)間(けん)地(じ)獄(ごく)の道をふさぎぬ」（同一〇三六頁）

と仰せられるように、大聖人の慈悲広大なる故に、三大秘法の南無妙法蓮華経は末法万年未来まで、一切衆生を救うことを明らかにされています。

　法華経の御講義

　さて、令(りょう)法(ぼう)久(く)住(じゅう)と広宣流布の基礎(きそ)のためには、門弟の育成が不可欠です。そのため、大聖人は、日常の信心修行の督励(とくれい)はもちろんのこと、一方では法華経の講義をされました。

　この講義には、日興上人や、建治二年に入門した日目上人など、少ない時は四十人、多い時で六十人もの門弟が聴(ちょう)講(こう)しました。

　この法華経の講義の真髄(しんずい)を会(え)得(とく)した日興上人は、その深(じん)旨(し)を『就註法華経口伝（御(おん)義(ぎ)口(く)伝(でん)）』として的確に筆録されました。

　この講義は建治三年の暮れまでに完了し、続いて弘安元（一二七八）年三月十九日より、新たに講義を始められました。

　門下の動静

　大聖人身延入山の後、各地の信徒が大聖人のもとへ訪れました。

　中でも阿(あ)仏(ぶつ)房(ぼう)と国(こ)府(う)入(にゅう)道(どう)が、幾(いく)多(た)の困難を乗り越えて、はるばる佐渡(さど)の国より参詣されました。

　また、鎌倉では、竜(りゅう)象(ぞう)という僧侶と、門下の三位日行が問答をし、たちまち竜象を屈服せしめました（桑(くわ)ケ(が)谷(やつ)問答）。これを機として、四条金吾は主君の江馬氏より法華信仰を捨てるよう責められ、池上宗仲は父親より勘当(かんどう)されました。しかし、

「冬は必ず春となる」（同　八三二頁）

の御金言のように、後に四条金吾は許されて、より一層主君の信頼を得て、また池上宗仲と宗長の兄弟は力を合わせて、兄の勘当を解いたばかりか、父親を折伏し、ついに入信せしめました。

　富士地方では、日興上人が南条時光の外護を受けて弘教に励まれました。

　出世の本(ほん)懐(がい)成(じょう)就(じゅ)を期されて

　さて、この時期における大聖人の御化導には、

一、佐渡での法華身読を終えられて、いよいよ三大秘法の法門を開示されたこと

二、末法万年の衆生救済のために、門弟の育成に力を注がれたこと

などの、末法の御本仏としての尊い御(お)振(ふる)る舞(ま)いが拝されます。

　また、日興上人の富士地方の弘教は、後に本(ほん)門(もん)戒(かい)壇(だん)の大(だい)御(ご)本(ほん)尊(ぞん)建立の外縁となる熱(あつ)原(わら)法(ほう)難(なん)の素(そ)因(いん)となったのです。

　私たちは、大聖人と日興上人の尊い師弟の絆(きずな)、そして、その教化を受けて弘教に励むご信徒たちの姿を鑑(かがみ)として、自らも本年度の誓(せい)願(がん)完(かん)遂(すい)のために、しっかりと折伏に励んでいきましょう。