日蓮大聖人(だいしようにん)は建長(けんちよう)五（一二五三）年三月二十八日、御年三十二歳(さい)の立教開宗より、弘安(こうあん)五（一二八二）年十月十三日、御年六十一歳の御(ご)入(にゆう)滅(めつ)まで、民衆救済の御化導をあそばされました。一般的に御化導の時期とその意義を鎌倉(かまくら)期、佐渡(さど)期、身延(みのぶ)期というように、大聖人が過ごされた場所を指して、三分割して拝(はい)しますが、今回は鎌倉期の前半を拝します。

　鎌倉期とは大聖人御年三十二歳の立教開宗より、文永(ぶんえい)八（一二七一）年九月十二日、御年五十歳の竜(たつ)の口(くち)法(ほう)難(なん)までを指し、大聖人御一期の御化導の中でも大半を占(し)めています。

　

　立教開宗

　大聖人は幼少の頃(ころ)より、元は釈尊(しやくそん)お一人の教えである仏教が麻(あさ)のように乱れていることを、不思議に思っておられました。そして諸宗の勝(しよう)劣(れつ)浅(せん)深(じん)を理解する日本第一の智者(ちしや)になりたいとの誓願(せいがん)を抱き、安房(あわ)（現在の千葉県鴨川(かもがわ)市）の清(せい)澄(ちよう)寺(じ)の道(どう)善(ぜん)房(ぼう)を師と仰(あお)いで入門されました。大聖人は日夜、勉学に励(はげ)むと共に、清澄寺の本堂に安置されていた虚(こ)空(くう)蔵(ぞう)菩(ぼ)薩(さつ)に「日本第一の智者となし給え」との祈(いの)りを捧(ささ)げました。するとある時、虚空蔵菩薩が僧(そう)となって現れ、大聖人に智慧(ちえ)の宝珠(ほうじゆ)を授(さず)け、それを機に大聖人は諸宗の勝劣浅深と、末法の一切衆生が何を受持信行すべきかなど、一時に生(しよう)智(ち)の妙(みよう)悟(ご)を得られたのです。その後、大聖人はその妙悟の確証を求めて、諸宗の寺院を遊学されました。そしてついに建長五年四月二十八日、大聖人は末法の一切衆生の闇(やみ)を照らす光明となるべき宗(しゆう)旨(し)を、故郷の安房清澄寺において高らかに宣言されたのです。その内容は、人々の不幸の根元は、禅(ぜん)や念仏等、間違った信仰(しんこう)にあり、法(ほ)華(け)経(きよう)本(ほん)門(もん)『寿(じゆ)量(りよう)品(ほん)』の肝要(かんよう)たる南無妙法蓮華経こそ仏の本懐(ほんがい)であるというものでした。

　当時、房総(ぼうそう)方面は念仏信仰が盛(さか)んであり、大聖人から邪(じや)教(きよう)呼ばわりされた念仏信者は怒(いか)り狂(くる)い、地頭の東(とう)条(じよう)景(かげ)信(のぶ)と民衆は直ちに大聖人に害を加えようと蜂起(ほうき)します。大聖人は、師の道善房、および兄弟子の浄(じよう)顕(けん)房・義(ぎ)浄(じよう)房の助けにより何とか難を逃(のが)れ、鎌倉へと向かわれたのです。

　

　鎌倉(かまくら)市中の様子

　東条景信らの襲(しゆう)撃(げき)に遭(あ)って、九死に一生を得た大聖人でしたが、謗(ほう)法(ぼう)破(は)折(しやく)の手を緩(ゆる)めることはありませんでした。大聖人は『報恩抄』に、

「いかんがせん、い(言)はんとすれば世間をそ(恐)ろし、黙止(もだ)さんとすれば仏の諌(かん)暁(ぎよう)のがれがたし。進退此に谷(きわ)まれり。宜(むべ)なるかなや、法華経の文に云はく『而(しか)も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉(おんしつ)多し。況んや滅度の後をや』と。又云はく『一切世間怨(あだ)多くして信じ難し』等云云」（御書一〇〇三頁）

と心情を述べられていますが、大聖人は正法を弘(ひろ)めることにより、様々な迫害(はくがい)が加えられることを承知されていました。大聖人は命と引き替えに正法を弘めることを、立宗の時、既(すで)に固く決意されていたのです。

　当時の日本は、うち続く飢饉(ききん)や疫(えき)病(びよう)で死者が蔓延(まんえん)し、国中の人々がなす術(すべ)もなく狼狽(ろうばい)して、むやみやたらに神仏への祈りを捧げていました。そこに追い打ちをかけるように正(しよう)嘉(か)元（一二五七）年八月一日、鎌倉を大地震が襲(おそ)い、壊滅(かいめつ)的打撃を与えます。その地震の結果、鎌倉にはまともな建物は一つもなかったと『吾(あ)妻(づま)鏡(かがみ)』は伝えています。

　大聖人は『松野殿御返事』に、

「日本国数年の間、打ち続きけ(飢)かち(渇)ゆきゝて衣(え)食(じき)たへ、畜(ちく)るひ(類)をば食ひつくし、結句(けつく)人をくらふ者出来して、或は死人・或は小児・或は病人等の肉を裂(さ)き取(と)りて、魚鹿等に加へて売りしかば人是を買ひく(喰)へり。此の国存の外に大悪鬼となれり」（同　一二〇〇頁）

と、当時の悲惨(ひさん)な日本の国状について述べられています。度重なる災害により、人々は次々に死傷し、ひもじさからすべての家畜を食べ尽(つ)くし、挙げ句は死人の肉を食べるのみならず、子供や病人の肉を食べる者もいたというのです。まさに日本は鬼神が蔓延する生きた地獄(じごく)と化していました。

　

　岩(いわ)本(もと)実(じつ)相(そう)寺(じ)入蔵

　大聖人は、鎌倉市中の辻(つじ)に立ち、民衆に法華経受持を説くことは勿論(もちろん)でしたが、封建(ほうけん)社会にあっては、絶対的権力を有する為(い)政(せい)者(しや)を諌暁し、正法を受持させることがどうしても必要でした。当時、絶対的権力を有していたのは、鎌倉幕府の前執権(しつけん)・北(ほう)条(じよう)時(とき)頼(より)であり、諌暁とは、諌(いさ)め正しい道に導くことで、北条時頼への折(しやく)伏(ぶく)を意味します。

　大聖人は意を決し、一切経を閲覧(えつらん)するためにしばらくの間鎌倉を離(はな)れ、岩本(いわもと)（静岡県富士市）の実(じつ)相(そう)寺(じ)に入ります。北条時頼に対する折伏・諌暁の書を著(あらわ)す準備として、邪義邪宗の蔓延が、災難の元(げん)凶(きよう)であることの証(しよう)拠(こ)を、経文に求められたのです。

　その時、お給仕に当たった伯耆(ほうき)公は、その御姿に感服し、大聖人の弟子として、師弟の契(ちぎ)りを交わしました。それが、後の日興(につこう)上人です。

　

　『立(りつ)正(しよう)安(あん)国(こく)論(ろん)』提出（一度目の国主諌(かん)暁(ぎよう)）

　約一年の後、大聖人は鎌倉に戻(もど)られます。そしていよいよ『立(りつ)正(しよう)安(あん)国(こく)論(ろん)』の執筆に取りかかり、文応(ぶんおう)元（一二六〇）年七月十六日、大聖人御年三十九歳の時、北条時頼に対して『立正安国論』を提出するのです。その要旨は次のようなものでした。「日本国の様々な災難は、国主をはじめ民衆が、念仏宗や禅宗等の邪教に帰依(きえ)した結果、守護の善神が瞋(いかり)りをなして起こしたものである。このままでは災難は止まず、さらに同士討(う)ちが起こり、他国からも襲撃されるなど、災難の上に災難が重なるだろう。災難を回避(かいひ)する方法は、一切の邪義謗法を捨(す)て、法華経を受持する以外にない」というものでした。

　その『立正安国論』に対して幕府は、表面的には無視の態度をとりました。しかし裏では、執権北条長時(ながとき)や、長時が帰依する極(ごく)楽(らく)寺(じ)良(りよう)観(かん)らが念仏信者たちの糸を引いて、大聖人を襲撃させたのです。

　

　松(まつ)葉(ば)ケ(が)谷(やつ)法(ほう)難(なん)と伊(い)豆(ず)配流

　文応元年八月二十七日夜、念仏信者は暴徒と化し、大聖人の草庵(そうあん)を襲撃します。大聖人はそのことを『下山御消息』に、

「念仏者並びに檀那等、又さるべき人々も同意したるぞと聞こへし。夜中に日蓮が小(しよう)庵(あん)に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。然れども心を合はせたる事なれば、寄せたる者も科なくて、大事の政道を破る。日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆国へ流しぬ」（同　一一五〇頁）

と記されています。「さるべき人々」つまりしかるべき権力者の同意の上に、松(まつ)葉(ば)ケ(が)谷(やつ)の草庵に夜中数千人が大聖人を殺害しようと押(お)し寄せたのです。しかし、大聖人は不思議にも難を逃れました。夜討ちに失敗した結果、権力者は、殺害されなかったのは不届きであるとして、翌弘(こう)長(ちよう)元年五月、無法にも大聖人を伊豆(いず)の伊東へ流罪に処すのです。