隠　士　と　烈　士

　

　インドの波羅痆斯(はらなし)国施鹿林(せろくりん)という所に一人の隠士がいて仙人の法を成就しようとしていた。今のところ瓦礫(がれき)を宝に変えたり、人畜の形を変えることは出来たが、風雲に乗って仙宮に遊ぶことが出来なかった。これを成就するために一人の烈士に命じ、長刀をもたせ、壇の隅に立たせて息を殺し、声を出さないようにさせた。宵(よい)より朝になるまで一言も物言わなければ仙人の術を得ることが出来るというのである。隠士は壇の中央に坐して手に長刀を握り、口に神呪(じんじゅ)を誦して「たとい死ぬようなことがあっても声を出してはいけない」と言い、烈士は「死んでも物言わない」と互いに約束したのであった。かくて既に夜中を過ぎてまさに明方(あけがた)になろうとしたとき、どう思ったのか烈士は大声をあげて叫んでしまった。これがもとで隠士は仙法を得ることが出来なかった。

　隠士が烈士に「どうして約束を守らなかったのか、口惜しいことである」と言うと、烈士は歎いて「少しまどろいでいると昔仕えた主人が来てどうして話さないのかと責めたけれども師の恩が厚いので耐えていた。すると主人は怒って首を刎(は)ねると言いだしたが、それでも口を開かなかったので、遂に首を切られてしまった。中陰(ちゅういん)にさまよう我が屍(しかばね)を見ると歎かしかったけれども物言わなかった。漸(ようやく)く南インドの婆羅門(ばらもん)の家に生れた。懐妊の時、出生の時、大苦にあい耐えがたかったがそれでも口を開かなかった。かくして成人となり妻をもらい、そのうち親が死に子供が生れたので悲しくもあり、悦ばしきもあったが、なお物言わなかった。

　このようにして我は六十五歳となり、子供は五歳になった。時に我が妻が『もし汝が物言わないのなら、私は汝が愛している子供を殺す』と言った。このとき私は既に年老いているので、この子がもし殺されるならば、また子供をもうけることが出来ないと思ったので声を出してしまった。この声に驚いて目を覚ましました」と言った。すると隠士は「力が及ばなかった。我も汝も魔にたぼらかされたのだ」と言うと、烈士は大いに歎いて「我が心が弱いために師が仙法を成就することが出来なかった」と詫びた。隠士は「私の失(とが)である。兼て誡めておかなかったことを悔ゆ」と慰(なぐさ)めたが、烈士は師の恩に報ずることが出来なかったことを歎いて遂に思い死にしたのであった。

　この説話は『大唐西域記』にあるもので、大聖人は御書に引用され「いうにかいなき小乗教にも劣る仙法を成就するのにも四魔が競い起こって妨げるのであるから、妙法を持つにおいては四魔は当然現われる」と仰せになっている。

　

　

　そして日寛上人は兼て誡めて置くと前置され「たとい子供が害されることになっても信心に退転があってはいけない」と注意されている。

　　　　　（寿量演説抄・歴代法主全書４－２７５頁）（高橋粛道）